毎日新聞:2008/3/20(木)朝刊
◇受賞作「土田ヒロミのニッポン」
2007年に優れた作品を発表した写真家に贈られる第27回「土門拳賞」は土田ヒロミ氏に決まった。土田氏は40年にわたり、多角的なアプローチから日本人を見つめてきた写真家で、受賞作となった「土田ヒロミのニッポン」(東京都写真美術館)はその集大成ともいえる写真展。
土田ヒロミ氏は、土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブルなどをテーマに、戦後の日本と日本人の変容する姿をいろいろな側面から撮り続けている。その作品は記録を基本にしながらも独特な表現力で日本という国への問題意識を明らかにしてきた。集積された作品からは、日本が抱える問題がくみ取れ、写真界のみならず戦後日本の大きな収穫と評価された。今回の土門拳賞には、写真家、評論家、学芸員など約90人の推薦委員より、12人の写真家と作品が推薦されたが、満場一致で土田氏の受賞が決定した。
◆選評・内藤正敏
受賞作の「土田ヒロミのニッポン」は、1968年から現在にいたる約40年間の土田の仕事を集大成した写真展である。
土田はデビュー作の「俗神」で、日本人の原風景とでもいうような世界を写した後、70年代の初めから、「砂を数える」と「ヒロシマ三部作」の撮影に取りくむ。
「砂を数える」では、首都圏を中心に“群集する日本人”を追いかける。土田のカメラは、初めのうち、十数人ほどの群集を写していたが、1980年前後から、おびただしい数の群集を望遠レンズで遠くから写すように変化する。ちょうどこの時期、日本はバブルへの道を突き進んでいた。土田は何かに衝(つ)き動かされるかのように「パーティー」や「続・俗神」も写している。
バブル経済が破綻(はたん)した後の1997年から写し始めた「新・砂を数える」で、土田の写真に一大変化が起きる。カラーでデジタル処理された画面には、小さな人間の群れが行く先も無くさまようかのごとく写っている。美しいだけに不気味な写真だ。いったい土田の写真を変革させたものは何だったのか。
それは彼が「砂を数える」と同時に制作した労作「ヒロシマ三部作」ではなかったのか。ここで土田は、禁欲的なまでに表現を抑制して、被爆者、被爆した場所、そして遺品を撮った写真に、事実だけを記した手記やメモを付ける。ヒロシマから見えてきたのは、群集より巨大な、恐ろしい国家の姿だったからではなかろうか。
土田は1986年から、毎日、セルフポートレートを写し続け、「Aging」を制作している。自分の内部に向けられた土田のカメラは今後、どこへ向かうのだろう。
(記事一部抜粋)
そういえば、昨年、東京都写真美術館で行われた「土田ヒロミのニッポン」を偶然見ました。
個人的に興味深かったのが、日本人の群衆を撮り続けた「砂を数える」シリーズ。(1975~2004)
「砂を数える -拡大する経済 都市化する私-」(1975-89)では、モノクロの写真から、
都市化していく社会の中で、大きな行事、イベントごとに群集化していった日本人の様子が見て取れます。
祭り、海水浴、バーゲン(「ラフォーレ原宿」の開店前に並ぶ様子)、花見、式典・・・
特別な日に、祖父母含めて家族総出で出かけていた状況が撮られています。
極めつけは、「初詣、鎌倉」(1981)。
初詣のために、足の踏み場も無いくらい(それはもう気持ち悪いほど)人が並んでいる写真。
それが、カラー化した「新・砂を数える -新世紀 Fake化する私-」(1995-2004)になると・・・
同じ群衆でも、80年代までとは異なり、何処と無くバラバラで寂しい印象を受けます。
集団自体も、それまでのような大人数ではなく、2~3人程度で、
そういった小グループが各々のやりたいことをやっている状況。
チラシには「1つのベクトル方向に動かず、互いに距離を取って群れる姿」と表現しているように、
人が集まっているようで、実は集まっていません。
これらの群衆の写真は、家族・友人などの人間関係や、大衆から分衆・小衆・・・などの変化・・・いろんな状況が読み取れる、興味深い資料と言えます。
追々、そういったこともアップできたらと思います。
土田ヒロミ氏の公式ホームページ
(「土田ヒロミのニッポン」チラシ一部)
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