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「昭和の日」ってなんじゃらホイ?

「え~、平成生まれなの~!!」

と驚く昭和世代の人たち。

(テレビで若いタレントの年齢を聞いたときに驚く芸能人達だけでなく、

新入生、新入社員、アルバイト先など、新しい人が入ってくるこの時期、結構ああいったことが言われているような気がします)

 

私も昭和生まれですが、別にそこまで驚かなくてもいいんじゃないの?

だって平成はすでに20年も経っているのですから、

そりゃあ、平成生まれの人はたくさんいますよ。

 

ついこの間まで昭和だったのに、と単に時の経つのが早いと思う場合もありますが、

どうも平成に生まれた人たちを見下しているように感じられる時もあります。

平成という時代に生まれたことをバカ(もしくは半人前)にしているというか、

こんな時代に生まれてきた人たちを憐れんでいるというか、

あまり良いイメージを持たれない気がします。

(「最近の若者は、まったく・・・」と似たような構図。)

 

もちろん、その背景には最近の昭和讃美ブームが。

去年あたりの朝日新聞(いつのかは不明)に、タイムマシーンが出来たら、憧れの昭和(30年代)に行ってみたいと書いていた小学生の投書を思い出しました。

詳しい内容は忘れてしまいましたが、

憧れの昭和30年代のことを切々と語っていたこの小学生は、それくらい生まれたことの無い昭和が好きなようでした。

この投書を見たときに、今ではなく過去(しかも自分が知らない)に憧れを抱く小学生の姿にギョッとしてしまいました。

戦国時代が好き、歴史が好きとかそういった話とは何か違って、

未来に対して思考すること、期待することを捨てているような気がします。

それが、昭和を知らない小学生にまで及んでいるとしたら、とても怖いことですが・・・

 

確か、クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」では、昭和のノスタルジーに浸るオトナと、未来に憧れる子供の葛藤みたいなものが描かれていたような。

もう一度見てみようかな。

 

そうそう、あさっての5月1日から吉祥寺の東急百貨店で「'70s メモリーズin吉祥寺」というイベントを開催するチラシがポストに入ってました。

目玉は「スペースインベーダー」のゲーム機、吉田拓郎のパネル展示、ギター販売だってさ。

詳しくは→「吉祥寺 よみがえる70年代」で。

 

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こんな記事み~つけた!! その2

毎日新聞:2008/3/20(木)朝刊 

特集:第27回「土門拳賞」に土田ヒロミ氏 40年間の集大成

◇受賞作「土田ヒロミのニッポン」

 2007年に優れた作品を発表した写真家に贈られる第27回「土門拳賞」は土田ヒロミ氏に決まった。土田氏は40年にわたり、多角的なアプローチから日本人を見つめてきた写真家で、受賞作となった「土田ヒロミのニッポン」(東京都写真美術館)はその集大成ともいえる写真展。

 土田ヒロミ氏は、土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブルなどをテーマに、戦後の日本と日本人の変容する姿をいろいろな側面から撮り続けている。その作品は記録を基本にしながらも独特な表現力で日本という国への問題意識を明らかにしてきた。集積された作品からは、日本が抱える問題がくみ取れ、写真界のみならず戦後日本の大きな収穫と評価された。今回の土門拳賞には、写真家、評論家、学芸員など約90人の推薦委員より、12人の写真家と作品が推薦されたが、満場一致で土田氏の受賞が決定した。

 ◆選評・内藤正敏

 受賞作の「土田ヒロミのニッポン」は、1968年から現在にいたる約40年間の土田の仕事を集大成した写真展である。

 土田はデビュー作の「俗神」で、日本人の原風景とでもいうような世界を写した後、70年代の初めから、「砂を数える」と「ヒロシマ三部作」の撮影に取りくむ。

 「砂を数える」では、首都圏を中心に“群集する日本人”を追いかける。土田のカメラは、初めのうち、十数人ほどの群集を写していたが、1980年前後から、おびただしい数の群集を望遠レンズで遠くから写すように変化する。ちょうどこの時期、日本はバブルへの道を突き進んでいた。土田は何かに衝(つ)き動かされるかのように「パーティー」や「続・俗神」も写している。

 バブル経済が破綻(はたん)した後の1997年から写し始めた「新・砂を数える」で、土田の写真に一大変化が起きる。カラーでデジタル処理された画面には、小さな人間の群れが行く先も無くさまようかのごとく写っている。美しいだけに不気味な写真だ。いったい土田の写真を変革させたものは何だったのか。

 それは彼が「砂を数える」と同時に制作した労作「ヒロシマ三部作」ではなかったのか。ここで土田は、禁欲的なまでに表現を抑制して、被爆者、被爆した場所、そして遺品を撮った写真に、事実だけを記した手記やメモを付ける。ヒロシマから見えてきたのは、群集より巨大な、恐ろしい国家の姿だったからではなかろうか。

 土田は1986年から、毎日、セルフポートレートを写し続け、「Aging」を制作している。自分の内部に向けられた土田のカメラは今後、どこへ向かうのだろう。

                                                                                            (記事一部抜粋)

 

そういえば、昨年、東京都写真美術館で行われた「土田ヒロミのニッポン」を偶然見ました。

個人的に興味深かったのが、日本人の群衆を撮り続けた「砂を数える」シリーズ。(1975~2004)

 

「砂を数える -拡大する経済 都市化する私-」(1975-89)では、モノクロの写真から、

都市化していく社会の中で、大きな行事、イベントごとに群集化していった日本人の様子が見て取れます。

祭り、海水浴、バーゲン(「ラフォーレ原宿」の開店前に並ぶ様子)、花見、式典・・・

特別な日に、祖父母含めて家族総出で出かけていた状況が撮られています。

極めつけは、「初詣、鎌倉」(1981)。

初詣のために、足の踏み場も無いくらい(それはもう気持ち悪いほど)人が並んでいる写真。

 

それが、カラー化した「新・砂を数える -新世紀 Fake化する私-」(1995-2004)になると・・・

同じ群衆でも、80年代までとは異なり、何処と無くバラバラで寂しい印象を受けます。

集団自体も、それまでのような大人数ではなく、2~3人程度で、

そういった小グループが各々のやりたいことをやっている状況。

チラシには「1つのベクトル方向に動かず、互いに距離を取って群れる姿」と表現しているように、

人が集まっているようで、実は集まっていません。

  

これらの群衆の写真は、家族・友人などの人間関係や、大衆から分衆・小衆・・・などの変化・・・いろんな状況が読み取れる、興味深い資料と言えます。

追々、そういったこともアップできたらと思います。

 

土田ヒロミ氏の公式ホームページ

Tsuchida001 (「土田ヒロミのニッポン」チラシ一部)

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こんな記事み~つけた!! その1

朝日新聞、08年3月11日朝刊。

木村伊兵衛写真賞 生と死を見つめる2人に

第33回を迎えた木村伊兵衛写真賞は、2年連続で2人受賞となった。世界を明るくとらえた昨年の受賞作から一転、岡田敦さん(28)と志賀理江子さん(27)の作品は、痛々しいほどに「生と死」を見つめる目を感じさせる。

■岡田さん 若者たちをリアルに

 受賞作『I am』では、若い女性の顔、裸体、そして自傷行為の跡が刻まれた腕が、生々しく見るものに迫る。

 被写体はウェブでの募集に応じた10~20代の約50人。衝撃的な写真のあまり、全員が自傷行為の経験者にも見えるが、そうではない。岡田さんは「今を生きる若い人たちのありのままの姿を撮った。決して特別なものではない」と話す。

 自分たち若い世代が現代社会に感じているリアリティーを一貫して撮り続けてきた。第29回木村伊兵衛写真賞の最終選考に残った『Cord』は、ウェブ上で交わされた自傷行為者たちの言葉を引用し、写真と組み合わせて表現。「私を撮ってほしい」という反響がメールで多数寄せられ、受賞作を生む契機となった。

 写真集の表紙には特殊な紙が使われ、手にした人の顔を鏡のように映す。「あなた自身もこの写真集に登場するひとりなのだというメッセージなんです」  (本文の一部抜粋)

 

この岡田敦の写真を見たことは無いので、この写真、記事に関してなんとも言えませんが・・・

どうして自傷行為の跡の生々しい跡が、若者のリアリティを表すのでしょうか?

そのこととは少し違うのですが、常々疑問に思っていたことがあります。

現代の若者(10代後半あたり)というと、こういったイメージだけでなく、売春、妊娠、薬物・・・が付きまとうような気がしてなりません。

少なくとも私はこういった場面に出くわしたことが一度も無いし、話に聞いたこともありません。

でも、そういったモノが出てくると何かリアリティーがあるように語られるのはなぜなのでしょうかね? 

 

また、こんな記事もありました。

『書評 なぜケータイ小説は売れるのか』(東京新聞、08年3月30日朝刊)

ケータイ小説の多くは「七つの大罪」を描いている、と本田は指摘する。売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛。ケータイ小説は東京よりも地方で売れているが、その理由は、この七つの大罪が地方都市の女子中高生にとってリアルなものとして映るからだ。

 もちろん地方の少女たちが皆、売春したり妊娠したり自殺しようとするわけではない。だが、東京発の東京目線でつくられるテレビドラマ等のよそよそしさに比べれば…。そういえば、ケータイ小説の多くは、作者の経験した実話として語られる。「友達のいとこの先輩が実際に遭った話」などとして語られる都市伝説のように。本田は「現代が生み出した宗教的な民間説話」と言う。         (本文の一部抜粋)

なぜケータイ小説は売れるのか (ソフトバンク新書 63) Book なぜケータイ小説は売れるのか (ソフトバンク新書 63)

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このケータイ小説のテーマとなる「売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛」。

これが、地方都市の女子中高生にとって、一種の都市伝説のようなものとしてリアリティを感じるなものとして映っているようです。

ただ、そう考えると、私の疑問も少しは解決できるかもしれません。

売春、薬物、不治の病・・・

なんてことは、身近にゴロゴロ存在していない日常ですが、

「友達の友達が・・・」とか「先輩が・・・」などのセリフとともに妙な現実味を持ってしまう。

そういったイメージが一人歩きし、「若者のリアリティ」を作り出す部品になっているんでしょうね。

 

でもやっぱり、私にとっては現実感の無い話ばかりです。

自傷行為の写真は、現実に起こっていることですが、若者のすべてがそれをしているわけではありません。

ケータイ小説もしかり。

(女性だとまた違った見方をするかもしれませんけど)

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