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読書レポート?その3

J・フィスク/伊藤守他訳『テレビジョンカルチャー ポピュラー文化の政治学』(梓出版、1996)(John Fiske,Television Culture :popular pleasure and politics ,Huschon,1987)

<レビュー>(加筆修正あり、約1800字)

 本書は、カルチュラル・スタディーズの理論を、テレビのテクスト分析に応用することで、テレビジョンカルチャーならびにポピュラー文化の特徴について論じたものである。従来のテレビ研究のように、単純に送り手から受け手へとメッセージが伝わるのではなく、フィスクは、受け手の能動性や主体性に注目し、テレビ番組のテクストとは、この両者のせめぎ合いの中で生産されていると指摘した。

 まず、テレビは、事実を忠実に反映するものではなく、社会において既にコード化、蓄積されてきた様々な「言説」によって再構成された「現実」らしさ(リアリズム)を伝えている。つまり、衣装・語り・舞台装置など画面上に可視化された技術レベルから、効果音・キャスティング・編集などの表現レベルまで、テレビ番組の様々な事象は、社会のイデオロギー(階級、ジェンダー、人種…)によって一貫性があり、理解しやすいものとして構成されている。ニュース、ドラマ、クイズと番組の内容、表現方法は異なれど、事実を「言説」というフィルターを通して伝えている点では変わらない。

 フィスクは、詳細なテレビ番組分析をすることで、何気なく見てしまうニュース、ドラマなどの番組内に、様々なイデオロギーが介在していることを明らかにした。テレビは、番組ごとに視聴者に対し、ある限定的な社会的な立場とアイデンティティを受け入れさせるようにする。例えば、『探偵ハート&ハート』(米、1979~1984)は、中産階級のアメリカ白人男性の視点から構成されているとフィスクは指摘した。そういったものに上手く合致できる視聴者が、このドラマを面白く理解できるものとして受容できるのである。

 資本主義における文化産業は、人々を大衆へと同質化させ、非個人化させる特徴がある。テレビの場合も、親しみやすさ、分かりやすさ、といった要素で多様な視聴者を同質化させやすくする。フィスクは、バルトの言う「接種(inoculation)」(危険なものを取り込み、脅威を除去し、既存の権力構造を強化させる)、「名称抹消(exnomination)」(常識とすることで言説の持つ意味を隠蔽)や、グラムシの「ヘゲモニー」を挙げ、支配的イデオロギーが対立する言説を自身に取り込んでしまうことを論じている。

 では、視聴者は、単純に送り手が伝える言説に従属しているだけだろうか?フィスクは、視聴者のテレビに対する意識レベルの違いを挙げ、視聴者の主体(subject)に注目し論をさらに進めている。テレビは、絶えず視聴者に対してメッセージを送る(働きかけモード)ことで、受け手の主体性を支配体制へと取り込もうとする。しかし、テレビは、ある程度統一された行為で観る(凝視)映画とは異なり、一瞥、ザッピング、「ながら視聴」など視聴形態が様々で、画面に対して多様な関係を持つ多彩な主体が存在しやすい。(単純に送り手の言説を受身で受け取る「受け手(audience)」から、テレビを能動的に読み独自の意味を生産する「読み手(reader)」まで。フィスクは、テレビ視聴者を労働者層が中心としている。)また、新聞、雑誌、広告、ラジオ、会話、ファッションなどのテレビ以外の文化生活領域にテレビが浸透しているため、それらがテレビの2次テクスト、3次テクストとなって、テレビ画面から離れて言説が発達、拡大していくのに機能している。

 そのために、テレビ番組は比較的開かれた様々な意味が構成可能である「多声性テクスト」であり、それらの意味は読み手の社会的諸条件(性別、階級、人種…)によって規定されている。読み手は、送り手の支配的イデオロギーを優先する場合もあれば、それとは異なった言説によって逸脱(aberrant)した読み方をする場合もある。(『スター・トレック』の女性ファンクラブによる恋愛ドラマ化など)テレビ番組のテクストは読み手中心による生産物であり、番組側が作った言説と、読み手が作った言説がせめぎあってテレビ番組の意味が生産されている。テレビジョンカルチャーとは、従属し、ポピュラー文化を受容している層の人々(労働者)が作り出すものとしての「ポピュラー資本」によって構成されているとフィスクは論じた。

 フィスクの論は、視聴者側の主体性に注目し、テレビを送り手の意図とは異なる読み方(時には抵抗)をしていることを指摘した。日本の場合、支配的イデオロギーなど一致しない要素もあるが、受け手の主体性といった視点、カルチュラル・スタディーズの理論によるテレビ番組分析などはテレビを深く分析する上で重要だろう。

 しかし、フィスクの論から20年経ち、テレビの視聴体系も多少変化しているだろう。テレビとは異なる解釈が、テレビ側にすぐ吸収され、テレビテクスト自体が形式化すればするほど、そこには送り手と受け手が一種の馴れ合い(共謀)関係にはなっていないだろうか。今後、さらに検討していきたい。

 

Book テレビジョンカルチャー―ポピュラー文化の政治学

著者:ジョン フィスク
販売元:梓出版社
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